川尻モノ知り歩き。

食、文化、歴史が香る 情緒豊かな川辺のまち

熊本市中心部の南方約8kmに位置する川尻町は古くから海外との交易港として開け、
江戸時代には緑川流域の物資の集散地として栄えました。
今でも桶や刃物づくり、染物などの伝統工芸が盛んで、
国指定の史跡、西南戦争ゆかりの地もあり、歴史・文化・工芸などを体感できる場所です。
また白壁の歴史ある造り酒屋、「開懐世利六菓匠(かわせりろっかしょう)」の名前で知られる和菓子屋もあり、
老舗の割烹・ウナギ、蕎麦屋など食どころも点在しています。

歴史を知る

藩政時代の史跡や、西南戦争ゆかりの地など、川尻には
歴史を今に伝えるスポットが数多く点在しています。

川尻の町は、鎌倉幕府時代に河尻三郎源実明がこの地に館を築いたのが始まりとされています。その後、加藤清正の治水事業で港町として発展。江戸時代には町奉行所が置かれ、緑川水系の政治・経済の中心地として栄えた歴史があります。その栄華を今に伝える3ヶ所の国指定史跡は、川尻が誇る名所です。

  • 1917年に川尻で生まれた木村政彦は、その強さと戦績から「木村の前に木村無し、木村の後にも木村無し」と言われた、伝説の柔道家・格闘家です。ここにあった道場で、木村政彦は少年時代、修業を積んでいました。

  • 町の繁栄にともない、川尻には多くの寺院が建立されました。その中の14寺院と、現在では廃寺となった1寺院は「川尻十五寺」と呼ばれ、地域の人たちに長く親しまれています。

  • 熊本城下の札の辻(現在の熊本市中央区宮内)を起点にして、川尻、宇土、八代、日奈久、田浦、津奈木、水俣を通って薩摩に至る道。薩摩藩主の参勤交代にも利用されていました。

150年前の明治維新で活躍した西郷隆盛。10年後の1877(明治10)年、日本における最後の内戦となった西南戦争を指揮しました。薩軍は陸路で熊本へ向かい、最初に本営を置いたのが旧薩摩街道筋にある川尻。熊本城を攻撃するため城下近くに本営を進めるなど、戦況によって二転三転しましたが、町内には今も薩軍ゆかりの地が数多く存在します。

  • 上田家は、代々細川家に仕えてきた兵学者の家柄。才能豊かで藩主の信任も厚かった休は、細川藩京都藩邸留守居役、川尻町奉行、藩副奉行など重職に抜擢されます。西南戦争時は川尻の人民保護のために薩軍隊長に協力を求め、自衛の策を立てるなど奔走し、川尻を戦火から救いました。

  • 1835(天保6)年、船に乗っていた川尻の茶屋・原田庄蔵は荒天のためフィリピンに漂着。ウイリアムスという人物に引き取られ、彼のもとで働き、日本語を教えました。そのウイリアムスは、なんとペリーが日本に開国を迫った時の日本語通訳官。原田庄蔵は日本開国の功労者のひとりなのです。

  • 「瑞鷹」創業者・吉村太八の長男で、「瑞鷹」を大きく発展させた人物。町会議員、学務委員等を務め、小学校運動場拡張用地の寄付や小学校施設・設備の寄付も行うなど、地域の発展に大きく貢献したひとりです。また、彦太郎の遺言により、川尻公会堂は完成しました。

参考文献 『ふるさとの歴史 川尻』 製作・発行/川尻文化の会

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